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欽定大清一統志 (巻413)
(西藏:山川の項のうち山嶺についての原文と訳文) |
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区
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原文
(※は大清一統志(乾隆九年版))
(水色は欽定大清一統志との異同箇所) |
訳文
(ピンク色は原文を変更して翻訳した個所)
( 訳・註釈: Y. Yamauti ) |
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V |
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阿
里
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山 |
山川岡底斯山在阿里之達克喇城東北百十里直陜西西寧府西南五千五百九十餘里其山高五百五十餘丈周一百四十餘里四面峰巒陡絶高出乎衆山者百餘丈積雪如懸崖皓然潔白頂上百泉流注至山麓即伏流地下前後環繞諸山皆巉岩峭峻奇峯拱列按其地勢由西南徼外以漸而高至此而極山脈蜿蜒分幹向西北者為僧格喀巴布岡里木孫諸山繞阿里而北二千五百餘里入西域之和闐南山及葱嶺諸山向東北者為扎布列斜而克角烏爾克年前唐拉薩木坦岡匝諾莫渾烏巴什巴顔哈喇諸山環衛地竟青海連延而下六千餘里至陜西西寧等處邊界向西南者為悶那克尼兒薩木泰岡諸山亘阿里之南二千餘里入厄訥特克國向東南者為達木楚克喀巴布岡噶爾沙彌努金岡花諸山歴蔵衛達喀木七千餘里至雲南四川之境 本朝康熙五十六年遣喇嘛楚兒沁蔵布蘭木占巴理藩院主事勝住等繪畫西海西蔵與圖測量地形以此處為天下之脊衆山之脈皆由此起云 按水経注阿耨達山西南有水名遥奴山西南小東有水名薩罕小東有水名恒伽此三水同出一山倶入恒水康泰扶南傳曰恒水之源乃極西北出崑崙山中有五大源枝扈黎大江出山西北流東南注大海枝扈黎即恒水也今阿里為蔵中極西南地近古天竺境此山西出狼楚拉楚麻楚三大水皆西流轉東而南合為岡噶江入南海疑此即阿耨達山也自佛書言阿耨達山而釋氏西域記酈道元水経注蕭徳言括地志咸謂阿耨達即崑崙然以地遠莫考轉相附曾荒怪不経我
※
山川岡底斯山在阿里之達克喇城東北三百十里直陜西西寧府西南五千五百九十餘里其山高五百五十餘丈周一百四十餘里四面峰巒陡絶高出乎衆山者百餘丈積雪如懸崖皓然潔白頂上百泉流注至山麓即伏流地下前後環繞諸山皆巉巖峭峻奇峯拱列按其地勢由西南徼外以漸而高至此而極山脈蜿蜒分幹向西北者為僧格喀巴布岡里木孫諸山繞阿里而北二千五百餘里入喀齊國向東北者為扎布列斜而克角烏爾克年前唐拉薩木坦岡匝諾莫渾烏巴什巴顔哈喇諸山環衛地竟河源西海連延而下六千餘里至陜西西寧等處邊界向西南者為悶那克尼兒薩木泰岡諸山亘阿里之南二千餘里入厄訥特克國向東南者為達木楚克喀巴布岡噶爾沙彌努金岡花諸山歴蔵衛達喀木七千餘里至雲南四川之境 本朝康熙五十六年遣喇嘛楚兒沁蔵布蘭木占巴理藩院主事勝住等繪畫西海西蔵與圖測量地形以此處為天下之脊衆山之脈皆由此起云 按水経注阿耨達山西南有水名遥奴山西南小東有水名薩罕小東有水名恒伽此三水同出一山倶入恒水康泰扶南傳曰恒水之源乃極西北出崑崙山中有五大源枝扈黎大江出山西北流東南注大海枝扈黎即恒水也今阿里為蔵中極西南地近古天竺境此山西出狼楚拉楚麻楚三大水皆西流轉東而南合為岡噶江入南海疑此即阿耨達山也自佛書言阿耨達山而釋氏西域記*水経注*括地志咸謂阿耨達即崑崙然以地遠莫考轉相附曾荒怪不経我 |
山川 [の項:] 岡底斯山(現在のカイラス(6656m))は、 阿里の達克喇城(現在の普蘭県普蘭鎮)の東北(110)310里にあり、陜西の西寧府(現在の青海省西寧市)からは西南約5590里にある。この山は、高さが約550丈、周囲が約140里あり、四方は切り立ち、抜きん出て高い。[岡底斯山周辺の]山はどれも約100丈[の高さが]あり、懸崖のように雪が積もっている。輝くように白い[岡底斯山の]頂上からは多くの泉が流れ出し、山麓に達するとたちまち地下に伏流する。[岡底斯山の]前後を取り巻く山々は、どれも鋭く切り立ち、高く険しく、奇峰が列をなして連なっている。調べてみると、[西蔵の]地勢は[中国の]西南辺境地域から次第に高くなり、ここ[岡底斯山]に至って極まる。[岡底斯山から]延びる山脈が西北[方向]に分かれると、僧格喀巴布[山]や岡里木孫[山]のような山々となり、阿里[地域]をめぐり、北方約2500里で西域の和闐南山及び葱嶺のような山々に入る。[岡底斯山から]東北[方向]に向かう[山脈]は、扎布列[山]、斜而克[山]、角烏爾克[山]、年前唐拉[山]、薩木坦岡匝[山]、諾莫渾烏巴什[山]、巴顔哈喇[山]のような山々となり、衛の地域や青海との境界を約6000里にわたって連なり、陜西や西寧等の境界に至る。[岡底斯山から]西南[方向]に向かう[山脈]は、悶那克尼兒[山]、薩木泰岡[山]のような山々となり、阿里[地域]の南を約2000里わたって[連なり]、厄訥特克國(インド)に入る。[岡底斯山から]東南[方向]に向かう[山脈]は、達木楚克喀巴布[山]、岡噶爾沙彌[山]、努金岡花[山]のような山々となり、蔵・衛や喀木[の地域]を約7000里経て、雲南・四川の境界に至る。
康熙五十六年(1717)、ラマの楚兒沁蔵布蘭木占巴(ツルティム・サンポ・ラプジャムパ(編註:ラプジャムパは学位名))や理藩院主事の勝住らが派遣され、青海・西蔵の輿地圖を描いた。測量された地形[図]によると、ここ[岡底斯山]が天下の背(世界の屋根)であり、多くの山脈はみなここから始まるという。
調べてみると、水経注には「阿耨達山(あのくだつせん)の西南に遥奴と呼ぶ水があり西南の東寄りには薩罕(さつかん)と呼ぶ水、そのやや東に恒伽(ごうが)と呼ぶ水が流れている。これらの水は同一の山から流れ出し、いずれも恒水(ガンジス)に流れ込む。康泰の『扶南伝』に、「恒水の源は西北の極(はて)にある。崑崙山中から流れ出る五つの大きな源があり、諸水はみなこの五つの源から分流する。枝扈黎(しこれい)大江は崑崙山から流れ出し西北に流れ、東南に向かって大海に注ぎ込む」という。」枝扈黎とは恒水のことである。」(編註:下線部は、「中国古典文学大系21(水経注)」(平凡社, 1974), p122の訳文(訳者:森 鹿三、日比野丈夫、藤善真澄、勝村哲也)から引用) とある。現在の阿里[地域]はチベットの中で最も西南の地にあり、古天竺(インド)との国境に近く、この山(岡底斯山)の西から狼楚河(サトレジ河)、拉楚河(インダス河)、麻楚河(カルナリ河)が[流れ]出ている。[これら]三つの大河はどれも西に流れてから東に転じ、南で合流して岡噶江(ガンジス河)となり、南海に流れ入る。もしかすると、これ(岡底斯山)は阿耨達山のことだろうか?仏典では[岡底斯山が]阿耨達山という。そして、「釋氏西域記」、酈道元「水経注」、蕭徳言「括地志」では、いずれも「阿耨達は崑崙」という。しかし、[岡底斯山の]場所が(我々からは)考えられないほど遠方にあるため、[これらいずれの説も]とんでもないこじつけやでたらめである。 |
阿
里
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山 |
聖祖威徳廣被薄海内外罔不臣服西南徼外窮荒不毛之土盡隷版圖使臣測量地形踰河源渉萬里如履階闥一山一水悉入圖志四十九年
諭大學士九卿日梵書言四大水出于阿耨達山下有阿耨達池以今考之意即岡底斯是唐古特言岡底斯者猶言衆山水之根與釋典之言相合
※
聖祖威徳廣被薄海内外罔不臣服西南徼外窮荒不毛之土盡隷版圖使臣測量地形踰河源渉萬里如履階闥一山一水悉入圖志* |
我が聖祖(康煕帝)の威徳は広く国内外にまで達し、[中国の]西南辺境[の人々]も臣従し、不毛を窮めた土地はことごとく版図に隷するようになった。[康煕帝の]使者は地形を測量し、河源を乗り越え、宮中を歩むように[慎重に]万里を渡り歩き、個々の山や河をことごとく図志に描き入れた。
[康煕](四十九)五十九年(1720)の大學士・九卿への上諭において[康煕帝は]次のように言われた。『梵書によると、四大河は阿耨達山から流れ出し、[阿耨達山の]麓には阿耨達池があるという。現在[の知見から]、この意味を考えると、岡底斯[山]がこれ(阿耨達山)にあたる。唐古特(タングート)では岡底斯[山]は、まさに多くの山や河の源といわれ、仏典の言葉とも合っている。 |
聖言煌煌始知宇内衆山水皆導源于岡底斯山自是而載籍所傳或有或無皆可按圖以辨猗歟盛已
※
*載籍所傳或有或無皆可按圖以辨猗歟盛哉 |
聖祖(康煕帝)の光り輝くお言葉によって、世界にある多くの山河はいずれも岡底斯山を源としていることが初めてわかるようになった。今後は、伝えられてきた文献によって有無[が分かれる件について]はすべて(皇輿全覧図等の)地図で見分けられるようになった。ああ、[議論の]盛んなることよ!』 |
僧格喀巴布山在古格札什魯木布則城東北三百六十里近岡底斯山北號岡底斯相近四大山之一土人以其形如獅子故名拉楚河源出此山之南其西北斜趨接於和闐之尼蟒依山及葱嶺諸山為西域諸山之祖
※
僧格喀巴布山在古格札什魯木布則城東北三百六十里近岡底斯山北號岡底斯相近四大山之一土人以其形如獅子故名拉楚河源出此山之南* |
僧格喀巴布山は、古格札什魯木布則城(現在の札達県達巴郷付近)の東北360里にある。[この山は]岡底斯山(現在のカイラス(6656m))の北にあり、岡底斯[山]に近い四大山の1つである。[山の]形が獅子に似ていると現地の人がいうことから[この]名がある。拉楚河(インダス河)はこの山の南を源とする。この[山の]西北は和闐(現在の新疆ウイグル自治区の和田(ホータン)地区)の尼蟒依山(編註: 満州語で雪山の意)や葱嶺(現在のパミール付近)に接している。これらの山々は西域の山々の始まりをなす。 |
遮達布里山在古格札什魯木布則城東北二百四十里與僧格喀巴布山相接亦阿里之大雪山也
※ 異同なし |
遮達布里山は、古格札什魯木布則城(現在の札達県達巴郷付近)の東北240里にあり、僧格喀巴布山と接している。また、[この山は]阿里[地域]の大きな雪山である。 |
岡里木孫山在魯多克城西北三百八十里山甚高険自遮達布里山綿亘而北至此為阿里之北界其西即喀齊國
※ 異同なし |
岡里木孫山(現在の昂龍崗日(6596m))は、魯多克城(現在の日土県日土鎮の日土宗山遺址)西北380里にある。[この]山はとても高く険しい。[山脈は]遮達布里山から北に向かって連なり、ここ(岡里木孫山)に至る。[この山は]阿里[地域]の北の境界をなし、その西は喀齊國(ヤルカンド・ハン国)である。 |
狼千喀巴布山在達克喇城東北二百五十里即岡底斯山南幹所始也為岡底斯相近四大山之一土人以其形似象故名狼楚河發源於此
※ 異同なし |
狼千喀巴布山は、達克喇城(現在の普蘭県普蘭鎮)の東北250里にあり、岡底斯山(現在のカイラス(6656m))の南[に連なる]支脈が始まるところである。[この山は]岡底斯[山]に近い四大山の1つであり、[山の]形が象に似ていると現地の人がいうことから[この]名がある。狼楚河(サトレジ河)はここから流れ出す。 |
悶那克尼兒山在達克喇城東北二百五十里與狼千喀巴布山相連山亦高大臨馬品木達喇池西岸
※
悶那克尼兒山在達克喇城東北二百五十里與狼千喀巴布山相連山亦高大臨馬品未達賴池西岸 |
悶那克尼兒山(現在の納木那尼峰(7694m))は、達克喇城(現在の普蘭県普蘭鎮)の東北250里にあり、狼千喀巴布山に連なる。[この]山もまた高大で馬品木達喇池(現在のマナサロワール湖)の西岸に面する。 |
馬布加喀巴布山在達克喇城西北一百四十里山脈自悶那克尼兒山来為岡底斯相近四大山之一土人以其形似孔雀故名麻楚河發源此山之南自此西向亘狼楚河之南二千餘里盡于拉楚狼楚兩河交會之處
※
馬布加喀巴布山在達克喇城西北一百四十里山脈自悶那克尼兒山来為岡底斯相近四大山之一土人以其形似孔雀故名麻楚河發源此山之南自此西向亘狼楚河之南二千餘里盡*拉楚狼楚兩河交會之處 |
馬布加喀巴布山は、達克喇城(現在の普蘭県普蘭鎮)の西北140里にある。山脈は悶那克尼兒山(現在の納木那尼峰(7694m))から[連なり]来ている。[この山は]岡底斯[山](現在のカイラス(6656m))に近い四大山の1つであり、[山の]形が孔雀に似ていると現地の人がいうことから[この]名がある。麻楚河(カルナリ河)はこの山の南から流れ出す。この河(麻楚河)は西に向かい、狼楚河(サトレジ河)の南約2000里にわたり、拉楚河(インダス河)と狼楚河(サトレジ河)の両河が合流するところまで流れる。 |
薩木泰岡山在畢底城西南二百二十里山脈自東北悶那克尼兒山綿亘二千余里至此為阿里之西南界已上諸山皆在阿里地
※ 異同なし |
薩木泰岡山は、畢底城(現在のインド・スピティ地区のDankar Dzong)の西南220里にある。[山脈は]東北の悶那克尼兒山(現在の納木那尼峰(7694m))から約2000里にわたって連なり、ここに至る。(薩木泰岡山は)阿里[地域]の西南の境界をなす。[この項に挙げた]以上の山々はいずれも阿里の地[域]にある。 |
V |
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蔵
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山 |
達木楚喀喀巴布山在卓書特部落西南三百四十里近悶那克尼兒山東南為岡底斯相近四大山之一土人以其形似馬故名雅魯蔵布江發源此山之東為蔵之西南界
※
達木楚克喀巴布山在卓書特部落西南三百四十里近悶那克尼兒山東南為岡底斯相近四大山之一土人以其形似馬故名雅魯蔵布江發源此山之東為蔵之西南界 |
達木楚喀喀巴布山は、卓書特部落(現在の仲巴県霍尓巴付近か?)の西南340里にあり、悶那克尼兒山(現在の納木那尼峰(7694m))の東南(側)に近い。[この山は]岡底斯[山](現在のカイラス(6656m))に近い四大山の1つであり、[山の]形が馬に似ていると現地の人がいうことから[この]名がある。雅魯蔵布江(ヤルツァンポ河)はこの山の東側から流れ出し、[この山は]蔵[地域]の西南の境界をなす。 |
蔵
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山 |
枯本岡前山在卓書特部落西南二百五十里與達木楚克喀巴布山相連山亦高大雪峯叠聳
※ 異同なし |
枯本岡前山は、卓書特部落(現在の仲巴県霍尓巴付近か?)の西南250里にあり、達木楚克喀巴布山に連なる。[この]山もまた高大で雪峰が重なるように聳える。 |
巴爾中岡前山在卓書特部落西南二百三十里山脈自西北枯本岡前山迤𨓦而来一大雪峯亭然獨立
※ 異同なし |
巴爾中岡前山(現在のパチュムハム(6529m))は、卓書特部落(現在の仲巴県霍尓巴付近か?)の西南230里にある。山脈は[この山の]西北の枯本岡前山から曲がりくねりながら続く。[ここには]
1つの大きな雪峰が独立して聳えている。 |
凡木蘇木岡古木山在卓書特部落南二百二十里上有二峯並立
※ 異同なし |
凡木蘇木岡古木山は、卓書特部落(現在の仲巴県霍尓巴付近か?)の南220里にあり、[この山の]上[部]には並立する2つの峰がある。 |
札布列佳爾布達克那山近岡底斯山東北高大次于岡底斯
※
札布列佳爾布達克那山近岡底斯山東北高大次於岡底斯 |
札布列佳爾布達克那山は、岡底斯山(現在のカイラス(6656m))の東北にある。[この山は]岡底斯[山]に次いで高大である。 |
上古牙拉克馬拉克山在卓書特部落西北二百八十里與札布列山相連又東南有沙夾爾尼夾爾山沙夾山之東南有隆夾爾隆馬爾山皆連屬之大雪山也
※ 異同なし |
上古牙拉克馬拉克山は、卓書特部落(現在の仲巴県霍尓巴付近か?)の西北280里にある。[この山は]札布列[佳爾布達克那]山に連なり、東南には沙夾爾尼夾爾山がある。沙夾[爾尼夾爾]山の東南には隆夾爾隆馬爾山がある。[これらの山々は]いずれも連続する大きな雪山である。 |
掲木拉舒爾木山在薩噶西北一百九十里
※ 異同なし |
掲木拉舒爾木山は、薩噶(現在の薩嘎県達吉嶺郷)の西北190里にある。 |
斜爾冲山在薩噶西北一百十里上有一峯高聳百里外望之如插霄漢
※ 異同なし |
斜爾冲山(現在の冷布崗日(7095m)か?)は、薩噶(現在の薩嘎県達吉嶺郷)の西北110里にある。[山の]上には高く聳える1つの峰があり、100里離れた場所からも天空に挿さったように[目立った山容が]望まれる。 |
角烏爾冲山在薩噶東北三十八里其山最為高險
※ 異同なし |
角烏爾冲山(現在の却武鐘(6275m)か?)は、薩噶(現在の薩嘎県達吉嶺郷)の東北38里にある。この山はとても高く険しい。 |
草索克博山在尚納木林城西北九十里
※ 異同なし |
草索克博山は、尚納木林城(現在の南木林県南木林鎮)の西北90里にある。 |
郎布山在蔵之北界近郎布池北岸
※ 異同なし |
郎布山は、蔵[地域]の北の境界にあり、郎布池(現在の昂拉仁錯か?)北岸に近い。 |
達爾古山在蔵之北界郎布山東山長百里餘上有七大峯巉岩特立
※
達爾古山在蔵之北界郎布山東山長百里餘上有七大峯巉岩峙立 |
達爾古山は、蔵[地域]の北の境界にあり、郎布山の東にある。[この]山の長さは100里ほどで、[山の]上[部]には鋭く切り立つ7つの岩峰がある。 |
岡噶爾沙彌山在阿里宗城東南七十里勢極高大積雪其上土石皆白
※ 異同なし |
岡噶爾沙彌山は、阿里宗城(現在の吉隆県宗嘎鎮)の東南70里にある。[この]山は極めて高大で雪が積もり、さらに土や岩は皆白い。 |
策林吉納山在羅西噶爾城西南一百九十里上有五峯高聳
※ 異同なし |
策林吉納山(現在のガウリ・サンカール~エヴェレスト付近の山群か?)は、羅西噶爾城(現在の定日県協噶尓鎮)の西南190里にあり、[山の]上[部]には5つの峰が高く聳える。 |
舒爾木蔵拉山在薩噶東南二百五十里山脈自岡噶爾沙彌諸山繞雅魯蔵布江之南而来甚高大朋出蔵布河發源于此
※
舒爾木蔵拉山在薩噶東南二百五十里山脈自岡噶爾沙彌諸山繞雅魯蔵布江之南而来甚高大朋出蔵布河發源於此 |
舒爾木蔵拉山(現在の藏拉(6487m))は、薩噶(現在の薩嘎県達吉嶺郷)の東南250里にある。山脈は、岡噶爾沙彌[山]等の山々から雅魯蔵布江の南[側]をめぐり[この山まで連なり]来ている。[この山は]とても高大であり、朋出蔵布河(現在の朋曲)はここから流れ出す。 |
朱木五馬山在羅西噶爾城西北一百八十里
※ 異同なし |
朱木五馬山は、羅西噶爾城(現在の定日県協噶尓鎮)の西北180里にある。 |
努金岡蒼山在那噶爾則城南二百里山極高大多積雪自達木楚克喀巴布山至此皆在蔵地
※ 異同なし |
努金岡蒼山(現在の寧金崗桑峰(7191m))は、那噶爾則城(現在の浪卡子県浪卡子鎮)の南200里にある。[この]山は極めて高大で多くの雪が積もっている。達木楚克喀巴布山からここまで[の山]はいずれも蔵の地[域]にある。 |
V |
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衛
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山 |
楚五里山在日喀爾公喀爾城西三十里
※ 異同なし |
楚五里山(現在の曲吾日山(4135m))は、日喀爾公喀爾城(現在の貢嘎県貢嘎学村)の西30里にある。 |
衛
/
山 |
公拉岡里山在烏雨克靈喀城東南九十里近牙母魯克池自西北弩金岡蒼山聯延至此山甚高大有積雪
※ 異同なし |
公拉岡里山(現在の庫拉崗日(7538m))は、烏雨克靈喀城(現在の南木林県達孜郷)(←編註:ここは原文情報の誤り)那噶爾則城(現在の浪卡子県浪卡子鎮)の東南90里にあり、牙母魯克池(現在の羊卓雍錯)に近い。[山脈は]西北の弩金岡蒼山(現在の寧金崗桑峰(7191m))からこの山まで連なり延びる。[この山は]とても高大で雪が積もっている。 |
牙拉尚布山在垂佳普郎城東南三十里大小雪峯參差聳峙
※ 異同なし |
牙拉尚布山(現在の雅拉香波(6635m))は、垂佳普郎城(現在の琼結県琼結鎮)の東南30里にある。[この山には]大小いくつかの雪峰が並んで聳える。 |
匝里山在東順城西南九十里衛之南界山頂平敞有大小百餘池
※ 異同なし |
匝里山(現在の聖地Tsari)は、東順城(現在の隆子県扎日郷 洞か?)の西南90里にあり、衛[地域]の南の境界である。山頂は平坦で広く、大小100余りの池がある。 |
達克卜悉立岡前山在納城西南一百八十里西北與匝里山接
※ 異同なし |
達克卜悉立岡前山(現在の達瓜西熱(5735m))は、納城(現在の朗県洞嘎鎮聶村の洞嘎宗遺址か?)の西南180里にある。[この山の]西北は匝里山(聖地Tsari)と接する。 |
魯木前噶爾瓦噶爾布山在吉尼城東南一百三十里為衛之東南界自此入喀木境
※ 異同なし |
魯木前噶爾瓦噶爾布山は、吉尼城(現在の林芝市巴宜区米瑞郷曲尼貢嘎村の徳木宗遺址か?)の東南130里にある。[この山は]衛[地域]の東南の境界であり、ここ(魯木前噶爾瓦噶爾布山)から喀木との境界に入る。 |
独龍岡里山在董郭爾城西北五十里
※ 異同なし |
独龍岡里山は、董郭爾城(現在の拉薩市堆龍德慶区東嘎鎮)の西北50里にある。 |
年前唐拉山在蓬多城西北一百三十里近騰噶里池東山甚高大積雪四時不消
※ 異同なし |
年前唐拉山(現在の念青唐古拉山(7162m))は、蓬多城(現在の林周県旁多郷)の西北130里にあり、騰噶里池(現在の納木錯)の東側にある。[この]山はとても高大で積雪が一年中消えない。 |
薩木坦岡札山在蓬多城東北一百八十里
※ 異同なし |
薩木坦岡札山(現在の桑丹康桑峰(6590m))は、蓬多城(現在の林周県旁多郷)の東北180里にある。 |
公噶巴喀馬山在哈喇烏蘇河源之南岸
※ 異同なし |
公噶巴喀馬山は、哈喇烏蘇河(現在の怒江上流域)河源の南岸にある。 |
尼庫里山在公噶巴喀山西南為衛之東界喀木之西界
※ 異同なし |
尼庫里山は、公噶巴喀山の西南(東北?)にある。[この山は]衛[地域]の東の境界であり、喀木[地域]の西の境界でもある。 |
都克立山在則布拉山城東南二百四十里山勢自尼庫里山向東南繞雅魯蔵布江東岸而来大石縦横無路可行江流亂石中惟聞水聲
※
都克立山在則布拉岡城東南二百四十里山勢自尼庫里山向東南繞雅魯蔵布江東岸而来大石縦横無路可行江流亂石中惟聞水聲 |
都克立山は、則布拉山城(現在の林芝市巴宜区布久郷の則拉宗遺址)の東南240里にある。山なみは尼庫里山から東南に向かい雅魯蔵布江の東岸をめぐっている。しかし[雅魯蔵布江大峡谷沿いは]、大きな岩が縦横にあり[川沿いを]行く路がない。[雅魯蔵布]江は、岩の散らばる[大峡谷の]中を流れ、[大峡谷江沿いを通れない我々には流れる]水の音だけが聞こえる。 |
布喀山在喀喇烏蘓上流北岸布喀譯言野牛山高大状如野牛故名
※
布喀山在喀喇烏蘇上流北岸布喀譯言野牛山高大状如野牛故名 |
布喀山は、喀喇烏蘇(現在の怒江上流域)の上流北岸にある。”布喀”を訳すと、「野牛」となる。[この]山は高大で野牛のような山容から[この]名がある。 |
巴薩通拉木山在喇薩北八百餘里即金沙江發源之山也山勢高大状如乳牛故名木魯烏蘇由山之東流出入雲南界為金沙江山西流出之水名牙爾加蔵布河 按明統志金沙江源出吐蕃界犁石山名犁水犁石者亦以其形如犁牛也
※ 異同なし |
巴薩通拉木山は、喇薩(ラサ)の北約800里にあり、金沙江が流れ出す山である。[この]山は高大で乳牛のよう[な山容]であることから[この]名がある。木魯烏蘇(現在の長江上流域)は、この山の東側から流れ出し、雲南地域に入って金沙江となる。[この]山の西側からは、牙爾加蔵布河(現在の扎加蔵布)という名の河が流れ出す。 調べてみると、「大明一統志」には「金沙江の源は吐蕃界の犁石山から流れ出す」とあり、犁水や犁石の名は、その[山の]形が犁牛(ヤク)に似ていることに由来する。 |
諾莫渾烏巴什山在喇薩東北八百九十里近布喀山東山之西南為怒江源山之西北近金沙江源遠近大山連延不断自此界兩江而東南直抵雲南之界
※
諾莫渾烏巴什山在喇薩東北八百九十里近布喀山東山之西南為怒江源山之西北近金沙江源遠近大山連延不断自此界兩江而東南直抵雲南之境 |
諾莫渾烏巴什山は、喇薩(ラサ)の東北890里にあり、布喀山の東にある。[この]山の西南は怒江の河源となり、[この]山の西北は金沙江の河源に近い。[この山の]付近一帯には大きな山が絶えることなく連なり、[この山から流れ出す]
2本の河(怒江、金沙江)は、東南[方向]の雲南の地域まで一直線に流れ[下っ]ている。 |
格爾吉匝噶那山在諾莫渾烏巴什山東北三百餘里衛之東界喀木之西北界即瀾滄江發源之山也山甚高大滇志謂瀾滄出源鹿石山即此
※ 異同なし |
格爾吉匝噶那山は、諾莫渾烏巴什山の東北約300里にある。[この山は]衛[地域]の東の境界であり、喀木[地域]の西北の境界、すなわち、瀾滄江(メコン河)が流れ出す山である。[この]山はとても高大で、「滇志」(雲南の地方志)に「瀾滄は鹿石山から流れ出す」とあるのが、この山である。 |
薩音苦布渾山在匝噶那山北
※ 異同なし |
薩音苦布渾山は、[格爾吉] 匝噶那山の北にある。 |
洞布倫山在薩音苦布渾山北
※ 異同なし |
洞布倫山は、薩音苦布渾山の北にある。 |
蘇克布蘇克木山在瀾滄江源東金沙江南岸共有七山齋齋爾喀納苦苦烏蘇七水發源于此
※
蘇克布蘇克木山在瀾滄江源東金沙江南岸共有七山齋齋爾哈納苦苦烏蘇七水發源於此 |
蘇克布蘇克木山は、瀾滄江(メコン河)の河源の東[側]にあり、金沙江の南岸でもある。[蘇克布蘇克木山には] 7つの山があり、齋齋爾喀納苦苦烏蘇(現在の聂恰曲)の7本の支流がここ(蘇克布蘇克木山)から流れ出す。 |
郭章魯苦噶爾牙山在蘇克布蘇克木山之南衛之東南界喀木之北界
※ 異同なし |
郭章魯苦噶爾牙山は、蘇克布蘇克木山の南[側]にある。[この山は]衛[地域]の東南の境界であり、喀木[地域]の北の境界でもある。 |
硇什達爾烏蘭達布遜山在巴薩通拉木山西北四百餘里其北即回部塔里木河境山高大石多赤色兩旁産紫色鹽喀七烏蘭木倫河發源于此
※
勒斜爾烏蘭達普蘇山在巴薩通拉木山西北四百餘里*山高大石多赤色兩旁産紫色鹽喀七烏蘭木倫河發源於此 |
硇什達爾烏蘭達布遜山は、巴薩通拉木山の西北約400里にある。[この山の]北側は、回部(現在の新疆ウイグル自治区)のタリム河との境である。[この]山は高大で岩の多くが赤い。[この山の]両側からは紫色の塩を産出する。喀七烏蘭木倫河(現在の尕尓曲)はここから流れ出す。 |
錫津烏蘭拖羅海山在烏蘭達布遜山東托克托乃烏蘭木倫河發源于此自此山綿亘而東繞木魯烏蘇之北千餘里皆名巴顔喀喇山山之陽即西海部落之界黄河之重源也自楚五里山至此皆在衛地
※
西金烏蘭拖羅海山在烏蘭達普蘇山東托克托乃烏蘭木倫河發源於此自此山綿亘而東繞木魯烏蘇之北千餘里皆名巴顔喀喇山山之陽即西海部落之界黄河之*源也自楚五里山至此皆在衛地 |
錫津烏蘭拖羅海山は、[硇什達爾]烏蘭達布遜山の東にある。托克托乃烏蘭木倫河(現在の沱沱河)はここから流れ出す。この山は連綿と東に続き、木魯烏蘇(現在の長江上流域)の北約1000里をめぐる[ように連なる]。[錫津烏蘭拖羅海山には]巴顔喀喇山という一般土着名がある。[錫津烏蘭拖羅海]山の南側は青海の部族地域で黄河の重源(”第二の源”)である。楚五里山(現在の曲吾日山(4135m))からここまで[の山]は、すべて衛の地[域]にある。 |
V |
|
* |
喀
木
/
山 |
東喇岡里山在舒班多城南九十七里
※ 異同なし |
東喇岡里山は、舒班多城(現在の洛隆県碩督鎮)の南97里にある。 |
喀
木
/
山 |
牧童山在舒班多城東北一百里
※ 異同なし |
牧童山は、舒班多城(現在の洛隆県碩督鎮)の東北100里にある。 |
畢拉克喇丹速克山在索克宗城東南九十里
※ 異同なし |
畢拉克喇丹速克山(現在の布加崗日(6328m))は、索克宗城(現在の索県亜拉鎮雪巴村)の東南90里にある。 |
喇岡木克馬山在索克宗城東南一百四十里
※ 異同なし |
喇岡木克馬山は、索克宗城(現在の索県亜拉鎮雪巴村)の東南140里にある。 |
那克碩忒山在索克宗城西南一百六十五里
※ 異同なし |
那克碩忒山は、索克宗城(現在の索県亜拉鎮雪巴村)の西南165里にある。 |
索克山在索克宗城東北一十九里
※ 異同なし |
索克山は、索克宗城(現在の索県亜拉鎮雪巴村)の東北19里にある。 |
秦布麻爾査布馬素穆山在索克宗城東北九十里
※ 異同なし |
秦布麻爾査布馬素穆山は、索克宗城(現在の索県亜拉鎮雪巴村)の東北90里にある。 |
匝納克山在索克宗城北一百四十里
※ 異同なし |
匝納克山は、索克宗城(現在の索県亜拉鎮雪巴村)の北140里にある。 |
布穆禮山在羅隆宗城東六十里
※ 異同なし |
布穆禮山は、羅隆宗城(現在の洛隆県康沙郷)の東60里にある。 |
麻穆佳木岡里山在羅隆宗城西南五十里
※ 異同なし |
麻穆佳木岡里山は、羅隆宗城(現在の洛隆県康沙郷)の西南50里にある。 |
家馬隆立山在薄宗城西北一百五十里
※ 異同なし |
家馬隆立山は、薄宗城(現在の波密県傾多鎮付近か?)の西北150里にある。 |
達牙里山在薄宗城西北二百里
※ 異同なし |
達牙里山は、薄宗城(現在の波密県傾多鎮付近か?)の西北200里にある。 |
塞喇馬岡里山在薄宗城西南一百二十里
※ 異同なし |
塞喇馬岡里山は、薄宗城(現在の波密県傾多鎮付近か?)の西南120里にある。 |
尼木布春木布立岡里山在薄宗城南七十里
※ 異同なし |
尼木布春木布立岡里山(現在の崗日嘎布山脈ルオニ峰(6882m)付近の山群)は、薄宗城(現在の波密県傾多鎮付近か?)の南70里にある。 |
察喇岡里山在桑阿充宗城東南八十三里
※ 異同なし |
察喇岡里山は、桑阿充宗城(現在の察隅県古玉郷王村の桑昂曲宗遺址)の東南83里にある。 |
噶爾布岡里山在桑阿充宗城東南二百三十里
※ 異同なし |
噶爾布岡里山(現在の咔瓦嘎布(6740m))は、桑阿充宗城(現在の察隅県古玉郷王村の桑昂曲宗遺址)の東南230里にある。 |
公喇岡里山在桑阿充宗城西南二百三十五里
※ 異同なし |
公喇岡里山は、桑阿充宗城(現在の察隅県古玉郷王村の桑昂曲宗遺址)の西南235里にある。 |
達木永隆山在匝坐里岡城東南六十里
※ 異同なし |
達木永隆山(現在の大米勇(6324m))は、匝坐里岡城(現在の左貢県田妥郷亞中村)の東南60里にある。 |
多爾濟雨兒珠母山在匝坐里岡城東北一百六十五里
※ 異同なし |
多爾濟雨兒珠母山は、匝坐里岡城(現在の左貢県田妥郷亞中村)の東北165里にある。 |
卓摩山在滾卓克宗城西北四十五里
※ 異同なし |
卓摩山は、滾卓克宗城(現在の貢覚県哈加郷曲卡村)の西北45里にある。 |
巴特馬郭出山在節達木之東噶里宗城東北三十里
※ 異同なし |
巴特馬郭出山は、節達木の東噶里宗城(現在の雲南省香格里拉市旧市街の独克宗)の東北30里にある。 |
巴爾丹嵬柱山在節達木城東南一百六十里
※ 異同なし |
巴爾丹嵬柱山は、節達木(現在の雲南省香格里拉市)の東南160里にある。 |
噶穆布鼐山在裏塘城西南一百六十里
※ 異同なし |
噶穆布鼐山(現在の格聶峰(6204m))は、裏塘(現在の理塘県高城鎮)の西南160里にある。 |
喇母立岡里山在裏塘城西南一百八十里
※ 異同なし |
喇母立岡里山は、裏塘城(現在の理塘県高城鎮)の西南180里にある。 |
郭拉将噶爾鼎山在裏塘城東北九十五里
※ 異同なし |
郭拉将噶爾鼎山は、裏塘城(現在の理塘県高城鎮)の東北95里にある。 |
阿母尼甘薩穆山在蘇爾莽城西北三十里自東喇岡里山至此皆在喀木地
※ 異同なし |
阿母尼甘薩穆山は、蘇爾莽城(現在の青海省嚢謙県毛庄郷付近)の西北30里にある。東喇岡里山からここまで[の山]はすべて喀木の地[域]にある。 |
V |
|
* |
衛
/
嶺 |
鶴秦嶺在木魯烏蘇上流南岸由西寧洮州諸處至蔵衛者此為要路其相近有庫庫賽爾嶺哲林嶺班穆布拉嶺皆在木魯烏蘇南其南又有洞布倫嶺
※ 異同なし |
鶴秦嶺は、 木魯烏蘇(現在の長江上流域)の上流南岸にある。西寧や洮州(現在の甘粛省甘南西藏族自治州臨潭県)等から蔵[地域]や衛[地域]に行くにはここが要路となる。[鶴秦嶺の]近くには庫庫賽爾嶺、哲林嶺、班穆布拉嶺があり、[これらの嶺は]いずれも木魯烏蘇(現在の長江上流域)の南側にある。[これらの嶺の]南には洞布倫嶺もある。 |
衛
/
嶺 |
伊克諾莫渾烏巴西嶺在洞布倫嶺南東北距西寧二千四十餘里西距喇薩千里又南有巴漢諾莫烏巴西嶺
※ 異同なし |
伊克諾莫渾烏巴西嶺は、洞布倫嶺の南にある。東北にある西寧から(この嶺まで)の距離は約2040里あり、(この嶺の南)西にある喇薩までの距離は1000里ある。また、[伊克諾莫渾烏巴西嶺の]南には巴漢諾莫烏巴西嶺がある。 |
拜都嶺在木魯烏蘇南其西有噶爾占古又嶺近木魯烏蘇之源又南有阿布喇剛蘇穆嶺布木札西里嶺又西南踰哈喇烏蘇有西勒圖嶺
※
拜都嶺在木魯烏蘇南其西有噶爾占古又嶺近木魯烏蘇之源又南有阿布喇剛蘇穆嶺布木匝西里嶺又西南踰哈喇烏蘇有西勒圖嶺 |
拜都嶺は、木魯烏蘇(現在の長江上流域)の南にある。その西には噶爾占古又嶺があり、[この嶺は]木魯烏蘇の河源に近い。また、[拜都嶺の]南には阿布喇剛蘇穆嶺と布木札西里嶺がある。また、[布木札西里嶺の]西南の哈喇烏蘇(現在の怒江上流域)を越えると、西勒圖嶺がある。 |
陽噶拉嶺在蓬多城西北五十五里又城西北一百四十里有拉爾金嶺城西南二十七里有査克拉嶺又踰此嶺至倫朱布宗城西南有郭拉嶺
※ 異同なし |
陽噶拉嶺(現在の央日阿拉(4726m))は、蓬多城(現在の林周県旁多郷)の西北55里にある。また[蓬多]城の西北140里には拉爾金嶺(現在の那根拉(5010m))があり、[蓬多]城の西南27里には査克拉嶺(現在の恰拉(4855m))がある。また、この嶺(査克拉嶺)を越えると、倫朱布宗城(現在の林周県松盤郷の林周宗遺址か?)に至る。[倫朱布宗城の]西南には郭拉嶺(現在の果拉(5072m))がある。 |
拉中拉千嶺在董郭爾城西南二十二里噶爾招木倫江邊
※ 異同なし |
拉中拉千嶺は、董郭爾城(現在の拉薩市堆龍德慶区東嘎鎮)の西南22里にある。[この嶺は]噶爾招木倫江(現在の拉薩河)の河畔にある。 |
噶穆巴拉嶺在楚舒爾城西南三十五里為衛之西界蔵之東界
※ 異同なし |
噶穆巴拉嶺(現在の甘巴拉(4794m))は、楚舒爾城(現在の曲水県曲水鎮)の西南35里にある。[この嶺は]衛[地域]の西の境界であり、蔵[地域]の東の境界でもある。 |
桂冷嶺在喇薩西北二百十里
※ 異同なし |
桂冷嶺(現在の古仁拉(5877m))は、喇薩(ラサ)の西北210里にある。 |
郭噶拉嶺在得秦城東南八十八里
※ 異同なし |
郭噶拉嶺(現在の各嘎拉(5100m))は、得秦城(現在の拉薩市達孜区徳慶鎮)の東南88里にある。 |
岡噶拉嶺在墨魯恭噶城東北一百二十里
※ 異同なし |
岡噶拉嶺は、墨魯恭噶城(現在の墨竹工卡県工卡鎮)の東北120里にある。 |
百爾根拉嶺在拉里廟東北一百二十里又廟西南一百七十二里有平達拉嶺廟東七十二里有弩普公拉嶺為衛之東界喀木之西界
※ 異同なし |
百爾根拉嶺は、拉里廟(現在の嘉黎県嘉黎郷の拉日寺)の東北120里にある。また、[拉里]廟の西南172(?)里には平達拉嶺(現在の邊達拉(5330m))がある。[拉里]廟の東72里には弩普公拉嶺(現在の魯貢拉(5581m))がある。[弩普公拉嶺は]衛[地域]の東の境界であり、喀木[地域]の西の境界でもある。 |
巴拉嶺在達克匝城東北九十五里
※ 異同なし |
巴拉嶺は、達克匝城(現在の桑日県沃卡郷)の東北95里にある。 |
楚拉嶺在札木達城北一百六里
※ 異同なし |
楚拉嶺(5332m)は、札木達城(現在の工布江達県太昭村)の北106里にある。 |
色穆隆喇嶺在朱木宗城東一百八十里又明璧拉嶺在東順城西南六十里馬木拉嶺冲嶺在満撮納城西南一百五十里竹木拉嶺在多宗城南六十里以上四嶺皆為衛之南界自鶴秦嶺至此皆在衛地
※
色穆隆喇嶺在朱木宗城東一百八十里又明璧拉嶺在東順城西南六十里馬木拉岡冲嶺在満撮納城西南一百五十里竹木拉嶺在多宗城南六十里以上四嶺皆為衛之南界自鶴秦嶺至此皆在衛地 |
色穆隆喇嶺(現在の崗日嘎布(Kangri Garpo)山群か?)は、朱木宗城(現在の林芝市巴宜区八一鎮の覚木宗遺址)の東180里にある。また、明璧拉嶺(現在のLip
La (4646m)か?)は東順城(現在の隆子県扎日郷 洞か?)の西南60里にある。馬木拉嶺冲嶺(現在のMilakatong La (4331m))は満撮納城(現在の錯那県錯那鎮)の西南150里にある。竹木拉嶺(現在のDrum
La (5135m))は多宗城(現在の洛扎県洛扎鎮)の南60里にある。以上4つの嶺はすべて衛[地域]の南の境界をなす。鶴秦嶺からここまで[の嶺]はすべて衛の地[域]にある。 |
V |
|
* |
蔵
/
嶺 |
龍前嶺在羅西噶爾城西北二百六十六里
※ 異同なし |
龍前嶺(現在のLungchen La (5185m))は、羅西噶爾城(現在の定日県協噶尓鎮)の西北266里にある。 |
蔵
/
嶺 |
邦拉嶺布章阿布林城西一百六十里
※
邦拉嶺在章阿布林城西一百六十里 |
邦拉嶺(4742m)は、章阿布林城(現在の昂仁県昂仁の昂仁宗山遺址)の西160里にあ(布在)る。 |
狼拉嶺在盆蘇克霊城西北六十里
※ 異同なし |
狼拉嶺は、盆蘇克霊城(現在の拉孜県彭錯林郷)の西北60里にある。 |
査拉克浪萬嶺在蔵之北境近鹽池
※ 異同なし |
査拉克浪萬嶺(現在のChaklam-la (5351m))は、蔵[地域]の北の境界にあり、塩湖(現在の扎布耶茶卡)に近い。 |
芝麻拉嶺在帕里宗城西南二十里又布拉馬蘇木嶺在濟隆城西南一百四十里沙盤嶺在阿里宗城西南二十里昻匝嶺在卓書特部落西南二百二十里已上四嶺為蔵之南界
※ 異同なし |
芝麻拉嶺は、帕里宗城(現在の亞東県帕里鎮)の西南20里にある。また、布拉馬蘇木嶺は濟隆城(現在の吉隆県吉隆鎮)の西南140里にある。沙盤嶺は阿里宗城(現在の吉隆県宗嘎鎮)の西南20里にある。昻匝嶺(現在の那木扎拉
(4986m))は卓書特部落(現在の仲巴県霍尓巴付近か?)の西南220里にある。[この項に挙げた]以上の4つの嶺は蔵[地域]の南の境界をなす。 |
麻爾岳木嶺在卓書特部落西二百八十九里即岡底斯山向南之支幹嶺南為蔵之西界嶺北為阿里之東界自龍前嶺至此皆在蔵地
※ 異同なし |
麻爾岳木嶺(現在の馬攸木拉(5280m))は、卓書特部落(現在の仲巴県霍尓巴付近か?)の西289里にあり、岡底斯山(現在のカイラス(6656m))から南に向かう支脈である。[麻爾岳木嶺の]南は蔵[地域]の西の境界であり、北側は阿里[地域]の東の境界である。龍前嶺(現在のLungchen
La (5185m))からここまで[の嶺]はすべて蔵の地[域]にある。 |
V |
|
* |
喀
木
/
嶺 |
弩卜公拉嶺在達爾宗城西北三百里為喀木衛地之交界
※ 異同なし |
弩卜公拉嶺(現在の魯貢拉(5581m))は、達爾宗城(現在の辺埧県辺埧鎮夏林)の西北300里にあり、喀木[地域]と衛[地域]の境界をなす。 |
喀
木
/
嶺 |
沙魯拉嶺在索克宗城東六十里
※ 異同なし |
沙魯拉嶺は、索克宗城(現在の索県亜拉鎮雪巴村)の東60里にある。 |
噶克岡里嶺在桑阿克宗城東北三百里
※
噶克岡里嶺在桑阿充宗城東北三百里 |
噶克岡里嶺は、桑阿克宗城(現在の察隅県古玉郷王村の桑昂曲宗遺址)の東北西南300里にある。 |
彊固拉嶺在蘇班多城南一百五十里自努卜公拉嶺至此皆在喀木地
※
彊固拉嶺在舒班多城南一百五十里自努卜公拉嶺至此皆在喀木地 |
彊固拉嶺(現在の傾多拉(5056m))は、蘇班多城(現在の洛隆県碩督鎮)の南150里にある。努卜公拉嶺(現在の魯貢拉(5581m))からここ(彊固拉嶺)まで[の嶺]はすべて喀木の地[域]にある。 |
V |
|
* |
阿
里
/
嶺 |
郎拉嶺在達克城西東北三百四十里即岡底斯北分之幹又城南一百四十餘里有佳拉嶺
※
郎拉嶺在達克喇城*東北三百四十里即岡底斯北分之幹又城南一百四十餘里有佳拉嶺 |
郎拉嶺(Tseti-lachen PassやTseti Pass付近の嶺か?)は、達克[喇]城(現在の普蘭県普蘭鎮)の西東北340里にあり、岡底斯[山](現在のカイラス(6656m))から北に分かれた支脈である。また、[達克喇]城の南約140里には佳拉嶺がある。 |
阿
里
/
嶺 |
察察嶺在魯多克城東北四百五十里其相近有克爾野嶺又魯多克城西北三百里有拉布齊嶺拉達克城東南三百八十餘里有弩普拉嶺皆阿里北鄙之雪嶺也
※ 異同なし |
察察嶺は、魯多克城(現在の日土県日土鎮の日土宗山遺址)の東北450里にある。[察察嶺の]近くには克爾野嶺(現在の克里雅山口(5390m))がある。また、魯多克城の西北300里には拉布齊嶺がある。拉達克城(現在のインド・ラダックのレー)の東南約380里には弩普拉嶺がある。これらはいずれも阿里[地域]北辺の雪嶺である。 |
巴第和木布嶺在達達克城西南三百餘里為阿里之西界
※
巴第和木布嶺在拉達克城西南三百餘里為阿里之西界 |
巴第和木布嶺は、達達克城(拉達克城か?)の西南約300里にあり、阿里[地域]の西の境界をなす。 |
匝穆薩拉嶺在札什魯木布則城西南七百餘里自郎拉嶺至此皆在阿里地 按西蔵諸嶺皆番人往来所経之路多険阻少平坦其高處積雪甚深中多瘴癘又有葱名塔爾頭草墩人馬踐之輒蹶行者多忌之
※ 異同なし |
匝穆薩拉嶺は、札什魯多木則城(現在の札達県達巴郷付近)の西南約700里にある。郎拉嶺からここまで[の嶺]はいずれも阿里の地[域]にある。
調べてみると、西蔵にある様々な嶺は、どれも地元民が往来する経路である。多くは険しく、平坦[な嶺]は少ない。[嶺の]高所では、積雪がとても深く、なかでも熱病(高山病?)が多い。また、塔爾頭草墩(ヤチボウズか?)という名前の葱があり、人や馬がこれを踏むとつまづいてしまう。[この地を]行く者の多くは、これを忌み嫌う。 |
喀
木
/
(嶺) |
匝噶里嘛尼圖崖在裏塘城西北四十里山皆黒石上有梵字及佛像
※
匝噶里嘛呢圖崖在裏塘城西北四十里山皆黒石上有梵字及佛像 |
匝噶里嘛尼圖崖は、裏塘城(現在の理塘県高城鎮)の西北40里にある。山は一面黒く、岩(壁面)には(彫刻された)梵字と仏像がある。 |
喀
木
/
(嶺) |
区
分 |
原文
(※は大清一統志(乾隆九年版))
(水色は欽定大清一統志との異同箇所) |
訳文
(ピンク色は原文を変更して翻訳した個所)
( 訳・註釈: Y. Yamauti ) |
区
分 |
xx |
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* |