図書室
No.5

この7年の間に(1999〜2006)

このコーナーの追加を1999年以来ほぼ7年ぶりに行うが、この間に本やインターネットをめぐる状況が大きくかわったので自分の経験から感じる点をいくつか挙げてみたい。
 
  1. 書店や古本屋の店頭にない本はインターネットから購入することが多くなった。
    • インターネット普及前は、新刊本を買うのは書店以外の選択肢がほとんどなかった(出版社の書籍目録を見るとわかるが、たいていの出版社は書籍の直接販売もやっていた。しかし、書籍代に加えて郵送料がかかるので私は滅多に行わなかった)。書店の店頭にない本を注文する時は、書店カウンターの横にある「日本書籍総目録」で本を探し( この目録は分厚くて上下2冊(その後3冊になったらしいが、朝日新聞2005/6/26の読書欄の記事によると、この総目録は2005年以降はなくなりインターネットのサイト「books」に一本化されたという。)に分かれている。当然のことだがこの目録には品切れ、絶版本、洋書は載っていない)、短冊のように切り離しができる書店の注文用紙に書名、著者名、出版社名などを記入し、1ヶ月近く(あるいはそれ以上)連絡待ち・・・(その結果、品切れということもよくあった)というスタイルだった。絶版本を探すために「東京ブックマップ」(書籍情報社刊)等を参考にして神保町や各地の特色ある古本屋を回ったりもしていた。
    • それが今では、書店の店頭になければインターネットのネット書店で注文というように変わった。ネットで検索・注文を何回もやっていると、従来はあった書店・古本屋、あるいは日本の書店・海外の書店といった境界がネット上ではほとんど意味がなくなりつつあると最近では感じている。
    • もちろん現在でも書店や古本屋にはよく行くが、以前のように自分の探索本がないかをみつけに行くよりも「自分にとって意外なもの(これは本・雑誌に限らず、目録、無料パンフ等も入る)と出会えるか」という面が大きくなった。私の場合、自分の関心のある(日本語の)新刊を探すツールとして15年以上前から新聞書評を使い(こうした新聞書評は、今ではネットにも掲載されているが、私は新聞の方を見る方針を続けている。最近では、自分の関心の変化か、新聞書評側の方針転換なのか、それとも出版界のパワーダウンによるのかわからないが、書評から興味のある本を得ることがネット普及以前に比べて少なくなった気がする)、それをもとに近くの書店で実物を確認する方針をとっている。本の評価については、最近では新聞等の書評に掲載されたプロの評者の(文章はすぐれているかもしれないが、さまざまな「配慮」がなされていることもある)コメントよりもネット上にみられる多くの相異なる意見(Amazon等のオンライン書店の場合、評価が分かれる本については、双方の評価を知ることができる上に、評価する人が[新聞・雑誌等の書評者とは違って]本の執筆者とは直接に利害関係がないため、たとえ著者がある分野の世界では”大家”であっても本の内容によっては容赦のない評価が下されていることもある)を参考にすることが多くなった。
    • 洋書の場合は、インターネット普及以前にはその存在がわかっていても、金額や入手までの時間を考えると、購入までのハードルが非常に高かった(たとえ購入可能だとわかり、注文できたとしても入手までに非常に時間がかかった)。しかし、その敷居もインターネット書店の発達で劇的に低くなった。洋書の長所の1つは、(翻訳者のフィルターを通っていない)専門性の高い分野の最新情報に近づける(あるいは近づいた気になれる)点がある(自分の関心のあるいくつかの分野の書籍については、1990年代以降日本語への新たな翻訳がほとんどなくなってしまった。これは単に需要が減っただけでなく、従来なら翻訳する環境にある人たち(研究者など)が近年非常に増大する研究以外の用事に時間を割かれ手が回らなくなったり、高齢で現役リタイヤといった面があると私は推測している。)
  2. インターネット環境の大きな変化
    • このHPを立ち上げた1998年当時は、パソコンのモデムからダイヤルアップ接続でインターネットにアクセスしていた。当時のHPは、個人の趣味を載せたりするものが多く、HPのデザインとか配色をどうしたらいいのか?といった本は、初心者向けのものばかりだった。それが今では、ADSLや光ケーブルによる高速接続が常識になり、企業のHP等では、写真や音楽、動画等の巨大なファイルを見ることができるようになった。デザイン面でもWebデザイナー向けの専門的な本や雑誌が書店には並び、個人的なページは、現在(2006年)はblog形式ならHTMLのことをほとんど知らなくてもきれいなHPをつくれるようになっている(ちなみに、私のこのページはCSSスタイルシートを少し使っている)
    • また、当時(1998年)はパソコン雑誌の主要な記事がハードウェアの性能や、OS・ソフトウェアの新製品(あるいはバージョンアップ)情報にあったのが、最近ではインターネット上での情報関係に移ってきている。
    • 検索エンジンも大きく発達した。Web上に存在する電子情報が莫大になり、検索エンジンも人間の思考回路に合うように改良されているためか、ちょっとした疑問についてもパソコンで検索すれば、あっという間に探し出してくれる(量が多い場合は検索を工夫すれば必要な程度まで抽出できるし、ある程度普遍的な事象であれば、日本語よりも英語で検索した方が情報の質・量ともにすぐれた結果が得られることをしばしば思い知らされている)。あまりに簡単にさまざまな情報が得られるため、従来の情報源(書籍タイプの辞典や図書館など)の利用が減った気がする(国立国会図書館東京本館にこの10年近くの間、時々出かけている自分の経験では、完全オンライン検索化と理工系図書や雑誌バックナンバーの関西館への移管によって東京本館で本や雑誌を閲覧している人がそれ以前よりもはっきりと減った気がする。かわりに、館内のオンライン検索用パソコンに張り付いている人の姿が目立つようになった。)。また、意見が相反する情報の場合は、Web上に玉石混合のさまざまな情報が溢れる上、従来は情報の「玉」と「石」を分ける役割を果たした評論家や彼らが出す判断基準(イデオロギーと極言してもよいかもしれない)の影響力が以前よりもずっと弱くなったため、「日和」をつかみにくくなったという気がする(そうした意見を出していた雑誌は次々と休刊している。その代わりなのか出版社のPRパンフレット(書店では無料で入手できる)の記事が最近では充実するようになった気がする)
インターネットの普及からまだ10年も経っていないが、(インターネット万能ともいえる風潮の)現在からみると、自分がHPを作り始めた頃のことはずいぶん昔だったと思うことがある。
何年か後にまた振り返ることができれば、とも考えているが・・・。
(2006.2.12)

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