○写真の言葉

 2008年の年末は友人と原野谷川源流のカザンタオ峠(漢字では"風倒峠"と書くらしい)に出かけた。
 前回私がこの峠に行ったのは2000年3月だった。その後も何度かここを目指して出かけたことがあったが、黒俣から奥に入る林道が通行止めになっていて再訪できずにいた。
 今回は幸運にも黒俣からの林道が通じていたので、久しぶりに峠まで車でのぼり、峠のランドマークともいえる1本の巨木
を見ることができた。
   
 2000年3月  2008年12月

峠を吹く強い西風と(おそらく)その影響で東側に傾いた巨木(モミ)は前と同じだったが、峠のまわりの雰囲気は少し変わっていた。以前は峠の東側が大きくひらけ富士山を展望できたのが、植林された木が成長した影響で今回は峠から東の眺望がきかなかった。モミの巨木の周囲も前はもっと雑草が少なかった気がする。

 私たちはカザンタオ峠に車を置いて北方向に続く尾根筋の山道を歩いて行った。
 山道には要所要所に目印があり、ササも刈りはらわれて歩きやすかった
(15年以上前に登った時にはササが生い茂り、歩くのに苦労した地帯のあったことを覚えている)。木々の間からは八高山(832m)がよく見えた。
 やがて三角点のある地点(国土地理院の地図の高度表示では753.5m)に着いた。国土地理院の地図に山名の記載はないが、この地域を宣伝する巨大な看板
(黒俣からの林道入口やカザンタオ峠等に建てられている)には川根山とある(インターネットで調べてみると、"炭焼山"(<-この付近一帯の旧地域名にちなんでつけられたのだろうか?)という山名もあるらしい) 
     

 三角点を越えて少し北上すると、1台の少年用自転車が道端に停めてあるのをみつけた。この地点を15年以上前に通過した時点でこの変速切換自転車は既に置かれた状態だった。人家から隔絶し、林道からも遠く離れ、700mを越える高さのほとんど無名の山の頂上付近になぜこの自転車が残され、どこからここまで運んできたのかまったく謎である(オーバーな譬えだが、アララット山(トルコ)の頂上近くで箱船をみつけたような不思議さだ)。私たちが調べた限りでは、チェーンなどの鉄製部品はかなり錆びているものの、タイヤはそれほどすり減っていないことから、オンボロ自転車をここまで乗り捨てに来たとは想像できない。  

 さらに山道を北に歩いてゆくと、「中塚国有林」の看板が立つ、中塚(周智郡森町)と家山(旧榛原郡川根町、現在は島田市川根町)を結ぶ旧道の峠(名称不明)に着いた。15年以上前に来たときには峠の傍らには小さな石地蔵と木材搬出用索道の支柱(当時すでに残骸化していた)が残っていた記憶があるが、今回は見当たらなかった。峠の近くには索道用のワイヤーが散乱し、石地蔵があったと思われる場所には日本酒のガラス瓶の破片(此処に限らず、昔の生活道だった山道を歩いていると日本酒のガラス瓶の破片をみつけることがあるが、ガラスの色は大抵の場合水色をしている気がする)が落ちていたので、おそらくどちらも撤去されてしまったのだろう。 
 
     

  国土地理院の地図では峠の東西両側に旧道の表示があり、東側を下るとそれほど歩かなくても車道に合流するように思えたので、峠の東側(家山方向)方向に下りてみることにした。もともと脆い地質のせいか、少し下ると斜面からの土砂流出が進み道がはっきりしなくなった。踏跡を頼りに少し進んでみたが、急傾斜の沢の上部で道を見失ったので、来た道を引き返し(無名の峠〜謎の放置自転車〜三角点)、カザンタオ峠に戻った。
   

 
 カザンタオ峠からは家山方面に通じる林道を車でおりた(2000年3月に来たときは、この林道入口にはチェーン(<- 2000年3月に撮影した上記写真を参照がかけられ通行できなかった)。林道をおりてゆく途中でカザンタオ峠や川根山を展望できるところがあった。カザンタオ峠にそびえるモミの巨木はここからも判別できた。 
 

(2009.2.22)

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