○写真の言葉

前回の更新から早くも半年が経った。
昨年の夏にちくま文庫解説目録のテーマでHPを出そうとして途中までつくったものの、何か物足りない気がしたのでそのままでほったらかしにしていた。秋になって筑摩書房がちくま文庫20周年の記念キャンペーンを開き、2006年の解説目録も書店に並ぶようになったので、これに便乗してちくま文庫解説目録小史として完成することができた。
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2005年の年末には友人と大井川中流の東側に位置する智者山(1291m)、天狗石山(1366m)に出かけた。
この2つの山はどちらも約1300mの標高があるにもかかわらず、2つの山の頂上近くを通る山道が昭和10年ごろまでは長島集落
(天狗石山の北にかつてはあったが、長島ダム建設のため住民は移転した)の人たちには大切な道だったらしい(野本寛一「庶民列伝−民俗の心をもとめて−」白水社, 2000)。野本氏の著書によると、この道を利用した場合、長島を午前2時に出て、洗沢(智者山の南に続く尾根上の集落で、現在は静岡と千頭を結ぶ国道362号線が通る)に着いてから夜が明けたという。明治時代に発行された陸地測量部(現在の国土地理院の前身)の地形図を見ると、長島集落から天狗石山と智者山(正確には両峰の山頂の少し東側)を通ってまっすぐ南下してゆく道の表示がある。陸地測量部の地図をみた限りでの私の想像では、長島集落から天狗石山までの登りはかなりきつそうだが、いったん天狗石山まで登ってしまえば、あとはきつい上り下りや迂回も少なく洗沢まで歩くことができたと思われる。交通機関が徒歩くらいしか利用できない時代、この集落の人たちにとって静岡の街に行ける最短(最速?)ルートだったのだろう(現在でも自動車を使って東海道(島田・金谷)から千頭あたりまで大井川沿いの道路を北上すると、川幅が広く大きく蛇行する河岸に沿った道路を延々と走るせいか、自動車でかなりの距離を移動したつもりでも目的地になかなかつかないという気持ちになる)
上記理由もあって、この2つの山にはいつか行ってみたいと思っていた。
<<- 千頭から智者山神社の少し手前まで舗装された道路(ところどころ路面が凍結していた)まで自動車に乗ってゆき、あとは歩いて登った。智者山神社の裏(社務所の左右両側から山道がそれぞれ延びているが、智者山へは登山者向けの標識がある方(右側)を登る。左側の道は途中の沢(わさび田跡?)付近で消えてしまう。当初、私たちは間違えてこの道をたどってしまった)からきつい山道を登ってゆくと、林道に出た。登山者向けの標識に従って林道を横切り、建設現場用の鉄製階段をのぼり、再びきつい山道(自分の運動不足もあったが、両手があいていないと、つかまるところを探すのに困るくらい急な箇所も多かった)を登ってゆくと、やがて智者山頂上についた。智者山頂上は南側がひらけているため日差しがよくあたり、この日は風もなかったので暖かく感じた。まわりには雪もなかった。
<<- 智者山頂上から北に続く広い尾根を歩いてゆくと、すぐに雪におおわれた道になった。道は雪が積もってから人が通っていないらしく、雪面には動物の足跡だけがついていた。

私たちが歩いたときは、広い尾根上の落葉した林の下にも日が入って雪面は明るく輝き、1200m近い冬の山を歩いているような感じがしなかった。しかし、この道は途中目印がうすくなったりして進路がわかりにくいところがあったので、友人と目印
(木の幹にペンキで描かれた二重丸が目印だったりもした)を見失わないように注意して進んだ。
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<<- 智者山−天狗石山間の尾根から東を望む。
(富士山は雪が少ないため黒っぽく見えた)
  • (a) : 七ツ峰 (1533m)
  • (b) : 十枚山 (1732m)
  • (c) : 富士山 (3776m)
<<- 天狗石山の山頂は雪が残り、周辺の展望もよくなかった。ところどころに日なたがあったのでそこで少し休み、帰途についた。

私たちが出かけた日は好天に恵まれた上、神社や山では他の人には会わず静かな山歩きができた
(後日、加田勝利著「新・分県登山ガイド21 -静岡県の山」(山と渓谷社, 2005)をみると、天狗石山頂から旧長島集落方向に少し下ったところに約200年前の地蔵があるという)


智者山神社付近の道路から高山、無双連山を望む ->>



(2006.1.29)


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